【BS11】「京都画報」『訪ねてみたい京の名邸 -限定公開の住宅遺産-』第33回 出演:常盤貴子(2024年6月12日放送分)
[音楽] 今からおよそ100年前に立てられた大丸 百貨店創業者の卓大丸 ビラ昭和初期の卓として貴重な姿を今に 伝え京都市登録文にされてい [音楽] ます通常は非公開のためいつも前を 通りかかるたびにいつか中を拝見できたら とずっと憧れていたという時は高子さん 今回特別に訪れる機会を得まし たご一緒するのは番組2回目の場 京都芸戦大学名教授の中川さん建築士がご 専門で京都の近代建築の保存活用の支援 活動にも勢力的に取り組んでい ます今回の京都画法はここ大丸ビラを始め 京都で大切に守りれている住宅建築の名 をり ますがり しての感が次々と立てられる一方日本人の 生活気候フードに指した日本人のための 住宅を提唱する帰依の建築家が登場京都を 代表する名作住宅を通して京都を部隊に 理想の住まいを追い求めた先人たちの熱い 思いに迫ります [音楽] [音楽] 大丸ビラが立てられたのは今からおよそ 100年前の 昭和7年 のの11代目であり百貨店大丸の初代社長 下村翔太郎が自らの住として立てまし た設計はメンソレータムで有名な大兄弟者 の経営者としても知られるアメリカ人建築 家ウィリアム メルボうんそうですよねこれあのま中大 様式っていう風なものなんですけれども あの一番の特徴はこうハーフティンバーっ て言って木で枠組を作って中をこうレガ屋 なんかで埋めていくっていう形式なんです が中は実は鉄拳航空イードですええ上から だからこう張ってるだから非常に巧みな ことをしててフチこう見せてるでもその 中大式のいろんな形式的なものはちゃんと 守ってるしあの煙突が面白いでしょ本当 ですねじれてますねねじれてこういうもの とかまいろんなところにその中大様式で 使われるようなものが非常に忠実に再現さ れていてええあの大変よくできたあの建築 になってます [音楽] ね重な石作りの車寄せの先にあるのは手元 官チューダー様式を代表する装飾である チューダーアーチが訪れた人を迎え ます16世紀に生まれた中田様式は20 世紀に入りリバイバルされ世界中で流行し まし たあどうもどうも初めまして時 ですよろしくお願いいたします 憧れの大に はい主館で出迎えてくれたのは松夫誠治 さん株式会社大丸松坂百貨店で総務部長 などの役職を 歴任現在は大丸ビラの維持管理を担当され てい ます大丸ビラを立てた11代村 は1883年明治16年江戸中期創業の 五福省大丸の創業家に生まれ7歳で本家の 投手となりまし た時代の荒波を受け家業が傾くと在学して いた早稲田大学を退学し社長に 任経営の近代化に進 しのに与しまし た松尾さんはい下村翔太郎さんはこの 大マルビラをどのような生殺で作られたん でしょうかうん彼は非常にアメリカ イギリス西洋に憧れてましてえそれを具現 化したいということでそのお友達も招か れるような家を邸宅を作りたいということ で作られたんだろうと思いますね先生がお 感じになる見所というとどこになりますか うんさっき言ったその中大様式っていうね 日本ではなかなかここまで完璧なその中大 式を実現している有楽見たことがないほぼ 完璧にこうなんか実現できてるっていう これはあのレガになるんですかいやいや タイルですねタイルにあの大山タイルは前 の階であ出ましたね3タイルそうですね ハーフンバーをちょっとまもしもにはなっ てるけれどもそういうものだとか階段の 手粉のところがこう煙突さんと同じように こうネジ棒になってたりとかこれはハブの ま楽器工場で作られたすごい硬い綺麗作ら れたということでなかなかできないそう 難しいですよねはいそれからあとはですね まそれから暖炉ですねはいこれはまだ生き てますけどへえ7つかやつ煙突ありますね ちょっと正確には私わからないですけど すごいすごい繋がってますこのボタン白い ボタンみたいに見えるものんだろうこれは どこに繋がってるんでしょうメイドさんと か呼ぶリなわけですよ ねいですねベルのちゃそうですベルの形を つてそんなとこにもこだわってるという とこですね当時でもモダンだったんじゃ ないですかなと思いますね [音楽] ねホールから今へと進みます 腰の高さまである窓には美しいステンド グラスがはまってい ますいわゆる下村の家紋がこの2つですね でこちらはちょっと遊びですけどもはい 下村翔太郎のSSですSS色んなとこで ステンドグラスは使われておりますですね へえステンドグラスお好きだったんですか ですねこの天井もすごいですよねすごい ですねこのちいでこういう作中大式なんか にもよくあの使われてたものですしもう1 つ大きな特徴がこうこれリレホールドって 言って中田良しの非常に特徴的なことなん ですね暖炉のとこの端っこもそうあれも年 ホですそこまってるんですねそうですまあ しかし日本でこれを本当に作ったってのは すごいなと思うんだけれどそもそもでも 下村さんはなぜ中大様式で立てられたん ですかはい本当のところ分からないんです けど1つはリバティ白庭はいそれが中大 様式の建物で建築予定だったものでその 情報が入りましてその情報をもにボリスに 設計を依頼したとリバティは建築予定だっ たんですかそうですね立ってなかった立っ てなかったあの実際にあのリバティ百貨店 立った後すごく話題になってだからま非常 に先見の名があったというですね本ですね はいもう1つ重要なことはねやっぱり ボリスがアメリカ人だったでしょでじゃあ なんでイギリスの中大様式だと思うかも しれませんが特にこのスタイルはアメリカ でも流行ってたものなんでアメリカ人の彼 としてはできるかもしれませんということ で引き受けたんじゃないかなとは思います けどね意外に楽しんでやってくださってい たかもしれないです ね続いて一向はサンルームへ 扉や窓ガラスなども極力当時のものを使用 してい ますサンルームの壁面は傷んでいたため クロスを張り替えてい ますカラフルな色使いだったことが当時の 写真から分かり ます今の奥にある食堂 へビは建物だけではなく家具66点も京都 市登録文化罪に登録されてい ます中川先生こちら家具も素晴らしいん ですけれども家具もだから割とこう古典の というか古めかしいね感じの核が見事に 揃えられてんですねこれはあのお買になっ たんですよねはいホワイスで使われてる ような家具屋さんから輸入したと聞いて おります相当家具でもお金をかけられたん だなとええまとまった点数でこれだけの 家具がちゃんと揃って残ってるってのは 大変珍しいことなんでこの家具も含めて このダイマビラの素晴らしさっていうこと が言えると思うんですよ [音楽] 2階には斎と室浴室というプライベート スペースと客室が配置されてい ます階段ホールの壁には豪華なゴブラン 折りのタペストリーが飾られてい [音楽] ます大丸ビラは住としてだけではなく下品 施設としての役割も果たしています ドイツの世界的な建築家ブルーのタウトも 大丸ビラに宿泊した有名人の1人 です松尾さん大丸ピラを通してみる下村 翔太郎さんはどのような方だったと思われ ますか私が思うにはですねあの大丸の中古 の外言っていいと思うんですけど私が今 働けてるのもこの方のおかげかなというに 思ったりしてるですけどもう会社がどうに もならない状況であったとどん底の時代 からこの家が立てれるような状態になった ということが彼の才能だったんだろうなと 思われます中川先生もいかが思わりました か建築家の仕事っていうのは えやっぱりその接種の見識とか眼力とか そういうものによってその花開くもんだと いう風に思いましたでしょ思いましたねね なんかねしかもこれを作った後にたくさん の方がこちらに来られたブルノトアウトも 来られたりとかね単にその自分の趣味だけ じゃなくてやっぱりそその作ったこの建物 をどうやってこう世界に開く施設として あの使っていくかてもその先進的な摂取の あの力とそしてそれにちゃんと答えられる 暴率のようないろんな様式をこう自在に 扱える建築があったからこそねこれが完成 したわけですから あの改めてあのそのすごさそういう思いを 新たにしたところです ね長年兵の外から眺めて憧れていた予感は 1人の偉大な実業家が西洋への憧れと自ら の理想を重ねて作り上げた素晴らしい空間 でし たそれを肌で感じられる絵がい機会を いただけてとても幸せでした [音楽] 京都府の南大阪府と酒井を接する 大山崎町桂川宇川木川という3つの河川が 合流する世界的にも希少な景観が広がり ます古くから京都と大阪を結ぶ交通の幼少 でもありました 西に迫る天王山は1582年天勝10年 本能寺で小田信長を打った明智光秀と信長 の不法を知り立中高松から駆けつけた橋 秀吉後の豊秀吉が天下分け目の決戦を 繰り広げた地として知られてい ます実はこのの大山崎町は知る人ぞ知る名 建築 スポット国方や重要文化在級の建物が 集まってい ますその1つが室町時代後期に見された 妙案の中に立つ国宝の茶室タイヤ です茶湯を体させた戦の球が秀吉のために 設け 残した茶室と伝えられスア作りの原点と 言われてい ます普通のお茶室よりもかなり狭い印象を 受けるんですけれども球さんと秀吉が1対 1で向き合ったのかなって思うと歴史の ロマンを感じますねうんそうですね特に リキが作り上げたその草案チシってのはね 完全にこう土で土の壁ではい塗り込めて しまってもう非常に閉鎖的なものを作って ますよねで1番特徴はやっぱりでもそう いう濃密な空間の中にいろんなデザインの 要素をギュギュッとこう詰め込むわけです ね天井ですよねこう3つに区切って それぞれ違うデザインのものをはめ込ん だりとかそれから床の間ももう全部こう土 で塗り込めてしまってで多くの柱がこう 見えないぐらいなってるわけですよねそう すると何か非常に狭いんだけれどもも独特 のこうなんか世界観みたいなものがこう そこに表現されてるまですからま究極のな んでしょうね日本の建築の中で1つの究極 のスタイルみたいなものを作り上げたと いうものがこの茶室なんじゃないかと思い ですねこの大山崎てとこにこの国方のねお 茶室があるってなかなかすごいですよね ええ16世紀後半の大山崎 を一切削ぎ落とした究極の空間をすでに 作り上げていた球の 再20世紀世界中で花開いたモダニズムの 先駆けとは少し言いすぎでしょう か茶室の原型とも言えるタイから歩いて数 分のとに日本で初めて設計した建築家の 邸宅跡があり ますタイアから450年もの時を経た奇跡 の 巡り合いこちらですはい超教っていうね そういう名前が付けられた住宅なです はい長竹居が建てられたのは1928年 昭和3年設計は京都 現の京都大学でをっていた建築家 藤井藤は大山崎町の広大な三林を購入し 宅地に 整備自らが住む住宅を盾ては改良すると いうことを繰り返しまし た結構資産家だったみたいでま何回かこう 実験住宅とし てを作って はいでまいん見所がある面白い住宅 ですこんにちはこんにちは待ちてました よろしくお願いいたします久ぶです久し ぶり です一般社団法人超居クラブ代表理事松明 さん竹中務店に勤務する原1996年から の活動に携わり続けてい ます超はどのような点が高く評価されて いるんですかえま当時から言うと100年 後の我々から見ても100年先まで見通し たような新しい住宅を作ろうとした なおかつかっこいいんですかっこ いい藤井浩司は 1888年明治21年広島県福山市で を営む裕福な家庭の次男として生まれまし た東京帝国大学を卒業後武中公務店に 入社6年の在籍期間中に朝日新聞大阪本社 社屋を始めいくつかのビッグプロジェクト の設計を担当しまし た退職後は9ヶ月間海外を歴訪した後に 帰国 京都帝国大学建築学部で強弁を取りながら 環境工学の研究に取り組みまし たこの建物は2018年に大阪北部地震と 台風21号この2つでものすごく被害を 受けたんですねでそこから全部えっと内部 も外部もあるいはその外交も全部今回直っ たなので1928年にこの建物できてます けどその姿にほぼ戻ってます昭和とかも 当時のまま当時のままですええおしゃれな デザインですねそうですね洋室のようで ありながら輪のテーストもあるからこんな に落ち着くんですかねそうですね例えば 椅子の生活と畳の生活を共存させるために ここ小上がりがありますよねはいこれはだ から畳の上に座った人と椅子に座った人の 目線を合せるために30cm上げてるん ですよああここにどなたかが座りながら 椅子に座られてる方とお話でがあちょ同じ 部屋の中で畳と椅子の生活が共存している あとランマがありますよねあちこちにま これはあのデザイン的にも優れてるんです けど実は機能的に優れていてスを閉めてて もはいダマを開けとけば風の窓を開け かざしの窓を開ければ風が抜けるわけです ああ風が通り抜けるってのは日本の住宅の 特徴だとあ昔の暮らしからちゃんと科学的 に導き出してるっていうのは不ですねああ この建築家のすごいとこはデザインとその 機能的なアイデアってのがこう一緒になっ てこうなんだそういうアイデアが出てきて るってとこが素晴らしいと思うんですよね 藤井工事はですねあの先ほどの話になった ように機能的な面とか構造ま大心性とか ですねそういうこと以上にですね住宅って 楽しくなきゃいけない愉快じゃなきゃいけ ないって言ってるんですねそういうことが 彼の言葉としては印象的ですね [音楽] へえ長竹居には環境工学の専門家である 藤井が科学的なアプローチで日本の気候 フードとりわけ夏に快適に暮らすための 工夫が随所に施されてい ますそのための工夫の1つがレキを 取り込むための装置同機口 ですあの同機口はどちらにどこでしょう か実はこのしたここですえ下にはいま ちょっと覗いていただくとれうわあ斜めに なってるこの先にえ土管が土の中を通っ てるんですはいええ12mぐらいはいで えっと西の方から風が吹いてくるのは 分かってるので夏場に土の温度に冷やされ た土管を通る中で空気が冷やされて入って くる常に新鮮な空気で家の中を満たすと うわあいうことは彼構えたことじゃない あの要するに日本の家をどうやって作る かっていうのはそのデザインだけじゃなく てその仕組みそういうその技術的なアイデ アってのもものすごく考えた人なんですよ ね [音楽] へえサンルームとしての役割を果たす 縁側綺麗ですねで正面が男山と山でその 手前に京都から藤川と木川と勝浦川が流れ てきてこいで合流して右手が淀がになり ますえそういう景色を眺めるような縁側に なって ます水平につる窓からは光がふだに 取り込まれ風景を額縁のように切り取り ます太い柱は用いず細かく窓枠の柱で支え てい ます橋にはテーブル風の補強を施すことで すっきりとしたを実現してい [音楽] ますさらに夏場は暑くなるため天井には 屋根裏に通じる海兵式の換気口も備えられ てい ます客室は洋室で置かれた椅子とテーブル も藤井が自らデザインしまし [音楽] たじゃこちら おかけくださいいいんですかはいおかけ くださいありがとうござい ますよ おおあなんかフィットしますね着物に 合わせた椅になってますああなので 背もたれが下がっているはいはいはいで あの肘掛けが袖よりも下がっているそう ですね大体椅子だとねこう帯が潰れて しまうんですけどそれが何もストレスない ですはいそうですね [音楽] 雨戸は不要と考えていた藤井は防犯のため 窓を甲子場にしますが海兵の具合によって 異なる景観が楽しめる工夫 も洋室でありながら事を用いたのは 柔らかい関節こそ人が一番落ち着く環境だ という思いがありそれは各部屋の照明器具 にも反映されてい ます家族が集まる食事室は縁の間切りで 居室と緩やかに区切られてい ます元々日本の空間っていうのは畳 ばっかりだったので45度方向に視界が 抜けるっていう見せ方ってないんですよね で藤井はおそらく45度方向にこう新しい 空間の広がりを持たせるっていうことを すごくポイントにしたのかなとで藤井浩司 と奥さんとで子供が3人ちょうどいいよう な大きさの食事室になってますはい富士 工事はあの実は実家がですね非常にまお 金持ちだったということでまあの奥様は ですね長知挙は狭かったと狭いま普通で 考えるとま豪邸ですよねそういうとこに 住むのがまおそらく奥様としては本当かな と思ってたと思うんですけど藤井工事は いかにコンパクトに住むかとで余ったお金 があるんだったらそれは設備にお金を かけろとどれくらいがちょうどいいかって のを徹底的に追求したのが不審工事ですふ 豪邸にはあるけどここにはないって何 かっていうと廊下ですよはいまこれはあの 今中心型って言ってね日本のあの近代のの 住宅で1つのあのタイプになってくんだ けどそれのものすごく早い例だしでこう 丸くしてるじゃないですかはいこれが画き 的だよねというかとってもおしゃれでしょ だ要するにその今にどういう風にその他の 空間が繋がってくかっていうのをいろんな こう試みをしてるわけだからそこがすごく 面白くてでしかもそれが1つ1つが おしゃれだっていうのが素晴らしいよね この後はテレビ初公開藤井浩司が日本趣味 を存分に発揮した別棟の名建築を紹介し ます長竹居は藤井が家族と暮らした本屋の 他に本屋北にある離れの間質と茶室の3等 で構成されています 監視は長竹居の完成と同じ年1928年 昭和3年に完成してい [音楽] ますこちらがテレビ初公開の監視ですか そうですでここもあの修理を行って全部が 綺麗になったのでえ今見学も始まってい ます藤井が1人で過ごす書斎として立て られた質はスア風アやハギなどが用いられ た天井など細部に至るまで凝ったデザイン が施されてい ますま藤井工事の実はここは1人部屋で これがあのある意味こう茶室の進化系とし て彼が考えてたものですつまりお茶室って のはお茶しかできないですよねだけどこの 空間はお茶もできるし瞑想に吹けれるし 客地呼んで食事もできる 今日はあのここに来る前にお茶室を見まし たよねはいであそこも天井がこういくつか に分割されてたでしょはいでここもね3つ にこう分割されてますよねはい明らかに あのお茶室のやり方っていうかデザインの 仕組みみたいのをやってるんだけどただ テーブルであったり今我々が座ってるこう いうものだったりっていうのはね全くその 茶室のあれに囚われてないですよねだから これがま特徴的ですけどまソファーがあっ て実はこれ常の場の1つですよねうん藤井 の考えてた日本のデザインていうのは世界 のものにこう抱き合わせても綺麗に 成り立つということが分かってたんじゃ ないですか [音楽] ね本屋の南東傾斜地に建てられた 茶室春行は本屋と質の完成から3年後 1931年昭和6 年本屋からの長房をさえぎらないように およそ4m下の方に位置してい [音楽] ます茶室は全体の広さが6m半 四方ガラス戸の入ったにじり口のある2条 中板月の 茶室4m幅のある床の間を持つ間質で構成 されてい ますすごく明るいですねそうですねあの 先ほど見た間質のもう1つの間質下間質 って言ってますけどあの茶室として使われ たとこです竹がズドーンと横にそうですね もうとにかく真っすぐなものしかないかに も不らしいですね でここにえっと1933年にドイツ人の 建築家のブルノタートが来ていますああ ここで繋がりました ねでここに来てであの茶室建築の確信だっ ていうことを日記に残していますでここで えっと奥さんからお茶をいいたということ も書かれてい ます藤井が居に暮らしたのはわずか10年 ほど 病に倒れ49歳という若さでこのよう去り ます今は京都佐野の二院にある病床で自ら デザインした墓所に眠ってい ます藤井さんがもし現代に生きておられ たらどんな住宅を立てたと思いますかま長 で見てきたように椅子と畳が共存するで さらに電製品を入れてまモダにしていく ですからこれも今の現代の新しい製品を 入れてえ火事労働を軽減するみたいなこと をきつてやると思いますねでやっぱり藤井 工事がやったことのまおそらく問題式とし てあるのはえスペイン風の流行寺に世界を 回ってきたことでもう1つは関東大震災の 参上を3週間後に見に行ったことですから これは現代で置き換えるとコロナと地震 のい日本の国では全然問題識は変わらない わけですよねだからこの中で藤井は やっぱり痛風換気が大事だとかですねで 耐震性が大事だとかでもさらにえ楽しむと 住宅を楽しむんだとで僕はこの楽しむって いうワードが現代割と失われてるんじゃ ないかなとでそれをやっぱりもう1回 取り戻すていうことが藤井が今生きてたら 皆さんにおそらく言うことじゃないかなと だからま藤井が生きてたらどういう住宅を 作るかっていうのは見てみたいですねうん [音楽] 長教ご覧になっていかがでしたかいやあの 100年も前に立てられたのにも関わらず これだけ洗練されていることにも驚いたん ですけれどももしこんな家に住むことが できたらって暮らしの中で楽しみが どんどんどんどん増えていくんだろうなっ て思いましたそうね結構あの京都市内にも ですねあの設計をやっていてもしつ非常に 質の高い住宅が残されていますのでそれを ちょっとまた見に行きましょわあ 楽しみディテールまでこだわり抜かれた超 教を拝見してすっかり藤井浩司さんの ファンになってしまいました次に尋ねる 住宅も楽しみ ですここからは時さんお気に入りのカフェ をご紹介 京都市佐京区の吉田山標高100mほどの 小高い給料でかつては神楽岡と呼ばれてい た山頂近くにそのカフェはあり ます見逃してしまいそうな森の入口へ [音楽] 鳥のさえずりに耳を傾けながら路地を歩い ていき ます街中とは思えない静かな雰囲気ですよ ねこの道中が特別感を産みますよ [音楽] ね麓から歩いておよそ15分 ほど木に囲まれ静かにんで モアン [音楽] です京都市の登録有文化財に登録されて いる木造2階建ての建物が建てられたのは 大正時代立てたのは明治から大正にかけて 活躍した京都の実業家谷川 茂次郎茶人としての顔を持つ次郎はす たに吉山の土地を入森の茶園を築きまし [音楽] たカフェになっているのは当時茶会で客人 に食事を振る舞う食堂として使われていた 建物茂次郎がなくなった後しばらくは 閉ざされていましたがレンタルスペース など 200年カフェとして新たな歴史を刻み 始めまし たオープンからおよそ20年間多くの ファンから愛されましたが2022年の夏 おしまれながら 閉店しかし5ヶ月後の2023年1月には ファン待望の営業 再開現在は予優先で営業 ます休業されたと聞いた時はとても 悲しかったんですけれどもまたこうやって 伺うことができてすごく嬉しい [音楽] です東西南波四方に大きく窓が設けられ 木々の緑に包まれ [音楽] ますの合から東側には大寺など京都地の 絶景が望め ますメニューはコーヒーや紅茶などの ソフトドリンクが 中心元茶園だった場所にふさわしく抹茶も オーダーでき ます少しここまで頑張って上がってきて風 や鳥のサを聞いたたりとかしてその音を こう自分の中に取り入れてまた都会に降り ていくっていうこともすごく気に入って よくやってまし た五山の送り火をいつかこちらで拝見して みたいですこの夢絶対叶いたいんですよ [音楽] ね長い間会えていなかった友人と再開でき たようなそんなびに満された一時でし [音楽] [拍手] た中川先生の案内で時さんがやってきたの は京都市内の北東に位置する北 白川琵琶湖素が流れる完成な住宅街 ですこの辺はあの京都大学のずっと北の方 にたって の学者さんたちがたくさんこう住んでた とこなんですねああ静かで穏やかなエリア ですもん ねこちらがその富人浩司のやはり住宅でね 北っていうはいもです え国の登録有文化財に登録されている旧 北井が京都帝大学の 業科学の者だった北のために設計しまし た行は1926年大正15年長居が立て られる2年前にあたり ます外から見る限りでは完全に和風の建築 ですねもこれ立った時にはまて言われた からそういうにさみたで例えばそこにその 出窓みたいのあるでしょはいあれは なかなか日本のスタイルにはないし ちょっと玄関ドアなんですよねだから洋風 のねあの住宅っていうものがのスタイルが ちゃんと取り入れられていてでもなんと なく和風に見えるというねここが面白い ですよ ね現在旧北は主に北王のビンテージ家具を 扱うギャラリー オブジェクトの展示スペースとして活用さ れてい ますギャラリーのオーナーが借手を探して いた旧北に一目惚れ およそ1年をかけて自らが木を磨き上げる など手入れをし良好な状態が維持されてい [音楽] ます藤井浩司が設計したこの空間に北欧の 家具がよく合ってますねどですよね使われ 方としてはなんか素晴らしいと思うんです けどねこのうはあのその藤井のその設計の ものはそ残ってね超教とね実はあの大工さ 同じなんですよだからそういう意味では 建築分をしっとしてものすごく高いものが そま残ってるってことですね へえ1回の大は大雪室洋室和室所 川で構成されてい ます和室の窓側に設けられた縁側は行後 藤井浩司が自らの設計で増築しまし た2階は2条の次の間と6条の客室一室 のみ平を理想としていた藤井が五山送りを 見るためだけの部屋として2回室をけた そう です藤井浩子らしさというのはどういう ところをに見て取れますかやっぱりここは 今ですけどま今中心っていうかね今から こういろんなお部屋がこう周りにこう囲ん でるっていうねあれ非常に特徴的なのあの 玄関入って横にあの大雪まって大雪ても2 畳ぐらいしかない狭いおせですけどあそこ もあの天井がアになっててアってこう四角 をこう重ねたようなね非常にこうモダンな デザインに繋がるわけででそういうものが あのモダーナ家具の雰囲気にこうすごく うまく合ってるのかなあとねあの階段が すくてあかっこいいですねあの階段かっこ いいですよねすごく単純な三角形でこ 切り取ってデザインのアイデア時代 ものすごく単純なものなんだけどすごく かっこいいですよねああいうあのワよが 落ち着いた感じでこうねあの展開して るってのがすごくよくわかって非常に見所 の住宅ですよ ね 有国大丸 ビラ照明に日が入ると昼間とはまた違った 表情を見せてくれると聞き今一度足を運び まし た見てて綺麗でしょ本当ですねもう どんどんもっと遠くから眺めてみたいに なりますねそうですねそうですねまこう いうあの西洋感ってあのこうテラスがあっ てねで前にこう庭がこって広がって るっていうのが我々が感じる西洋感の イメージじゃないですかだからこの建物も この庭からどういう風に見えるかっていう のを多分相当意識してますで屋根がかなり こう複雑な構成になってますよねでも バランスをちゃんとととってだ非常にこう 魅力的なこう構成っていうものを作ってて これはやっぱりあのさすがだなという 素晴らしいかなと思います ね多くの人の熱い思いに守られて春行当時 の佇まいを今に伝えている京都のモダン 住宅 建築その唯一無の魅力に時さんもを受けた よう です照明に明りが入るとまた昼間とは違っ た雰囲気でロマンチックですね ビルディングのような大型建築も 素晴らしいですけれども人が日々の暮らし を営む住まにこそ本当の豊かさが現れるん だろうなって思いまし たな [音楽]
今回の『京都画報』は、限定でしか見ることができない住宅建築の名作を訪ねます。
最初に訪れたのは、常盤貴子も塀越しに仰ぎ見ていた憧れの洋館!築100年を経た今も多くの人びとを惹きつけて止まない、老舗百貨店創業者の邸宅。その敷地に遂に足を踏み入れます!
次に訪れたのは、大阪府に接する大山崎。利休が携わった現存する唯一の茶室(国宝)を訪ねます。そして、大正・昭和期を駆け抜けた気鋭の建築家・藤井厚二が建てた自邸へ。日本の気候風土に根差した理想の住宅を追い求め、天才・藤井が造り上げた伝統美と機能美の融合。テレビ初公開の別棟・茶室などはまさに必見!さらに京都市内に残る藤井のもうひとつの住宅建築へも足を運びます。
案内役は第13回「近代建築の都を巡る」に引き続き、京都工芸繊維大学名誉教授の中川理さん。わかりやすい解説に常盤さんも大納得!
恒例のカフェコーナーでは、吉田山山頂にある、実業家が建てた野趣あふれる名建築を訪ねます。
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【出演】
常盤貴子
中川理(京都工芸繊維大学 名誉教授)
松尾誠司(大丸ヴィラ)
松隈章(聴竹居倶楽部)
【協力】
大丸ヴィラ、株式会社大丸松坂屋百貨店、妙喜庵、聴竹居倶楽部、株式会社竹中工務店、藤本三喜子(挿花)、旧喜多邸、RELEVANT OBJECT、茂庵、株式会社ヤマチカ
【製作著作】
KBS京都/TOKYO MX/BS11
【配信期間】
2024年6月12日~2024年6月26日まで
【番組情報】
全国無料放送BS11「京都画報」
📺毎月第2水曜日 よる8時00分~8時53分
※放送週は変更になる場合がございます。
番組公式HP:https://www.bs11.jp/education/kyoto-gaho/
【番組概要】
クオリティーライフを送る方々に最新で上質な京都の美・知・芸・技・食をお届けする京都の情報番組『京都画報』。
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