◆今回の俳句
【季語なし】
0:28 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 日野草城
1:41 亡き母や海見る度に見る度に 小林一茶
2:14 戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
3:08 かあーと光る松を見つめてわれ有りぬ 金子兜太
4:06 ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ 藤木清子
4:39 なにもない河童の皿を撫でてごらん 恩田侑布子
5:38 すべて過去その過去が動き出す 駒走松恵
6:32 チョコレートひとつで一日楽しくなる 大西政司
【季感のなさ・詩感第一義】
7:28 冷蔵庫に掌を当て月日甦る 立岩利夫
8:33 皿皿皿皿皿皿血皿皿皿 関悦史
#無季
チャンネル主 ふせへのお問い合わせは下記メールアドレスへお願いいたします。
momodenalu@gmail.com
当チャンネルではフリー音源を下記サイトから使用しています。
https://dova-s.jp
#夏井先生 #プレバト #俳句
#季語 #夏井いつき #夏井
#はいく #ぷればと #NHK俳句 #nhk俳句
◆一部文字起こし
今回は画面にある俳句を参照しながら無季の俳句について考えていきます
季語のない俳句や季語があっても季節感「季感」というらしいんですが季感のない俳句は無季の俳句として扱われることがあります
今回は無季の俳句を見ながら考えていきたいと思います
日野草城の作品から紹介します
見えぬ眼の 方の眼鏡の 玉も拭く
この俳句には季語がありません
眼鏡という季感のない人工物が出てきます
意味は緑内障のため失明した日野草城は晩年にこの俳句を読みました
見えない方の眼鏡のレンズも拭くということですね
この「も」と「玉」という表現にメッセージが込められている気がしました
「も」とすることで見える方のレンズを拭くことは前提であるといったことや場合によっては見える方から拭いて見えない方も拭くといった時系列も説明する助詞かなと思いました
また「玉」とレンズのことを表現しているわけですけれども
眼鏡を大事にしている姿、眼鏡への思い入れ 失明したことに対する自身の考え
そういったものが「玉」という表現に表われているのではないかなと考えさせられました
季語はないですが日野草城の思いが伝わってくるそんな俳句かと思います
亡き母や 海見る度に 見る度に
この俳句にも季語がありません
海という自然物は出てきますが季節感はありませんね
小林一茶が詠んだこの俳句
意味は海を見るたびに亡き母のことが思い出されるよということです
三歳で親を亡くして四十七歳の頃にこの俳句を詠んだそうなんですが
海というものに母親を重ねるそんな読みさえ読み手にさせる俳句かなと思いました
戦争が 廊下の奥に 立つてゐた
無季俳句の中でも戦争について詠んだものを銃後俳句と呼ぶことがあるそうです
渡辺白泉は銃後俳句を代表する俳人ですが無季派、超季派などとして季語にとらわれずに表現するそんな運動をしていたようです
戦争の他にも広島といったキーワードで詠まれる銃後俳句がたくさんありました
この俳句の意味はふと気がつくと戦争がまるで廊下の奥に立っているように待ち構えていたとさせていただきました
戦争を擬人化し廊下に立っているという日常風景のようにいきなり意図せずやってきた
といったことが表現されているかと思います
かぁーと光る 松を見つめて われ有りぬ
一見松が季語のようですがこれも無季の俳句となります
常緑樹である松は単体では季語にならないですね
松を含む季語としては「松の花」ー春や「色変えぬ松」ー秋なんていうものがあります
私はこの無季俳句を調べる中で松って季語じゃないんだなと初めて知ったんですけれども
そんな言葉もあるんですね
金子兜太が詠んだこの作品
意味は松がかぁーっと光る様子を見つめて自分の存在を再認識するとさせていただきました
「かあー」というオノマトペから始まって「われ有りぬ」という哲学的な下五で終わる訳なんですけれども
皆さんはどのように解釈するでしょうか
ぜひコメント欄で教えてください
ひとりゐて 刃物のごとき 昼とおもふ
こちらは刃物という季感のない人工物が出てきますね
意味は一人でいると刃物のような昼だと思うとさせていただきました
刃物のようにどうなのかというところが読み手に委ねられる部分だと思うんですけれども刃物のように鋭い冷たいそういった無機物としての刃物が効果を発揮している俳句かなと思います
何もない 河童の皿を 撫でてごらん
河童など架空の概念なんていうのは季感を伴わないことが多いですね
意味はなにもない河童の皿或いは河童の皿のような何かを撫でてごらんという場面かと思います
調べてみると河童狛犬というのが出てきて頭のへこんだ狛犬っていうのがあるみたいですね
そういった直接的なものを指しているのかまるで河童の皿のようなお父さんの頭なのか
色々と何が河童の皿なんだろうと思わされる俳句です
架空の概念で季節感のないものが多いと言いましたが例えば幽霊という言葉は夏の季語になります
前回上げた「見えない俳句」の中で幽霊の俳句を紹介してますのでそちらもぜひご覧ください
全て過去その過去が動き出す
このように季節のない大きな時制の時は無季の俳句となります
意味は今までの全ては過去だその過去が今動き出そうとしているとさせていただきました
動き出すという表記が印象的ですが時が進む、時が戻る、時が経つ、時を遡るなど時とセットで使われる動詞というのはありますよね
しかし今回は「動く」とより物体的にあるいは生きてる感じで表現されているわけです
何か新しい挑戦が始まるのか
過去だと思っていたものがふとした瞬間に動き出したのか
色々な読みが出来る俳句かなと思いました
チョコレート ひとつで一日 楽しくなる
チョコレートは季語ではありませんね
意味はチョコレートと一つの小さなきっかけで一日が楽しくなるものだなとさせていただきました
チョコレートが季語でないと申し上げましたがいつ詠まれたかというところも大切かなと思います
バレンタインデーだったら2月14日の俳句になりますよね
バレンタインの傍題は「バレンタインの日」とか「愛の日」とかあるんですけれども
季語か傍題かというところは俳句にとって重要なところかもしれません
チョコレートが季語になる日が来るのかという話も含めて無季の俳句って何だろうと考えさせられる俳句でした
続いて季語はあるんだけれども季感のない無季の俳句というものを紹介します
冷蔵庫に 掌を当て月日 甦る
意味は冷蔵庫に手を当てると過ぎ去った月日の記憶が蘇ってくるとさせていただきました
冷蔵庫は夏の季語ですが季節的な役割を果たしているのかどうかということが問題になってくるかと思います
この俳句においては夏のことというよりももっと大きい過去のこと
「全て過去」の俳句でも紹介しましたが大きな時制に焦点が当たっているのではという読みが主流かと思うので無季となるのではないかと考えました
大きなのっぽの古時計の裏に隠された記憶みたいなものが歌われているわけで
今回の冷蔵庫も夏の季語というよりも思い出を蘇らせる記憶装置みたいな役割の方が強いのかなと思いました
続いての俳句です
ちょっと説明に自信がないんですがさせてください
皿皿皿 皿皿皿血 皿皿皿
これには季語がまずありませんね
でこの俳句の意味は皿と血って似てる字だなあということかと思うんですけれども
こんなふうに俳句の字面としての意味っていうよりも何かもっと他に伝えたいメッセージ・句意というものがある場合は無季とされることがあると思います
今回は季語なしで無季ということでいいと思うんですが
例えば私が考えた俳句が中央部にありますのでそちらで考えてみましょう
鰆鰆鰆 鰍鰍鰍
この皿皿皿の俳句からインスパイアされて作った俳句なんですけれども
こちらには確かに季語はあるんですけれども意味としては皿皿皿の俳句とほとんど同じですよね
こちらは季語「鰆」「鰍」春と秋じゃんってなるんじゃなくって
無季の俳句として他に伝えたいことっていうのを持ち合わせた俳句かと思います
無季の俳句で調べてみると季語のないものっていうのが一つ目の意味で
そこにこんなものも含めるよっていう風に書いてあったのが
季語があるんだけれども季感のないもの 先程の冷蔵庫ですね
あるいは詩感が強いものポエジーなものっていう表記を見かけました
この鰆鰆鰆がポエジーかどうかは分からないんですがこういったものも無季に分類されるのかなと考えました
もし季語があるんだけれども詩感(ポエジー)が強い無季の俳句をご存知な方がいたらぜひコメント欄で教えてくださいますと助かります
ということで今回は無季の俳句について考えてきました
「松」なんていうそれ単体では季語にならない言葉だったり銃後俳句なんていうジャンルだったり
新しい気づきがたくさんあって非常に勉強になった回でした