世界的なブランド「KENZO」。
その創業者として活躍してきたのが、ファッションデザイナーの高田賢三さん。
高田さんの日本の事務所によると、9月10日に感染が確認され、フランス・パリ近郊の病院に入院。
一時は病状が回復したものの、およそ1カ月にわたる闘病の末、4日に亡くなった。
81歳だった。
東京の文化服装学院で同期生だった、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんは、突然の知らせに喪失感を表した。
コシノジュンコさんのコメント「あまりにも突然の訃報で驚き悲しんでいます。世界のKENZOとして皆に愛された『ケンチャン』、わたしにとって学生時代の出会いから今まで思い出いっぱいつまった時間を共有できた。最愛の親友でした」
高田賢三さん(1983年)「(日本の若い世代へメッセージは?)いや、メッセージなんてものは言えませんけど、結局努力するしか仕方ないですよね」
パリを拠点に活躍した高田さん。
25歳の時、単身でパリに渡った。
無名の日本人がパリのファッション界に「KENZO」の名を知らしめたのが、民族衣装を大胆に取り込んだ独特のデザイン。
世界的ブランドとして認められた。
その後、1980年代に入ると、KENZOは、コシノジュンコなどのブランドとともに「DCブランド」と呼ばれる日本のファッションブームの火付け役となった。
そして、高田さんは、2004年のアテネオリンピックの時には、日本選手団の公式ユニホームをデザイン。
新たな風を吹き込んだ。
パリ市のイダルゴ市長もツイッターを投稿し、高田さんの死を悼むとともに、功績をたたえた。
イダルゴ市長「彼はファッションに色と光を与えてくれた。パリはきょう、わたしたちの息子の死を悼んでいる」
(2020/10/06)
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